• 悪性リンパ腫を克服した70爺の愉快な生きざま

高木家の家系

ここに家系を入れる予定です。

戦場からの便り

私の父(高木守、年生まれ)が長女のスヨ(昭和9」年生まれ)、長男守成(昭和11年生まれ)に戦場から送った手紙

守ちゃん、スヨちゃんお達者で元気で仲良くジイさんバアさん、かあちゃんのみんなに可愛がられて大変大きくなったでしょうね。かかチャンのお便りにいつもいつも守ちゃん、スヨちゃん2人とも元気で大変大きくなり、ジイさんバアさん皆んな仲良く一家を暮らしていくとあります。
この便りを受け取った時、父ちゃんはどんなに嬉しいでしょうか。とても守ちゃん、スヨちゃんではまだ分かりませんね。晩になるとみんな国よりお便りを待っております。父ちゃんはお便りを手にしてみんなと一緒にお便りを見ていますと、父ちゃんはそっと立ち去って廊下に出ていきます。守ちゃんスヨちゃん何故でしょうか。外でもありません。父ちゃんは涙に弱いから、守ちゃんスヨちゃんが達者で大きくなり、母ちゃんがジイさん、バアさんと仲良く一緒に暮らしているとあるのを見れば嬉しくなります。嬉しいあまり涙が出ようとします。その時友達に涙を見せまいと、そっと立ち去って廊下に出ていくのであります。
守ちゃん十二月十四日付の手紙を一月十三日、母ちゃん十月九日付(阿蘇神社のお守り入り)を一月二十日に拝見いたしました。重ねてお礼申し上げます。何度も詳しいお便りを戴いてよく安心いたしました。守ちゃんスヨちゃん、父さんはお別れした時より大変大きくなりました。喜んで下さい。あ~大きくはなりませんが、大きくなったように達者でおります。今、何百里とも知れぬ遠い西の赤き夕日の下で、父ちゃんは尊い日本の軍人・兵隊さんであります。守ちゃんスヨちゃん、ジイさんやバアさんの言うことを良く聞いて、母ちゃんに加勢しなさいよ。そうして何時までか待っていますと父さんも一度は帰って、守ちゃんスヨちゃんを膝の上に上げて、頭をなでてあげます。その時なんと言いましょうかね。守ちゃんスヨちゃん、何百里の幾山河を隔てておりますが、本当は実に近いものであります。父ちゃんは、守ちゃんスヨちゃんが見たい時には、昼はお写真を取り出して眺めます。父ちゃんが写真を撮りだして、みんなにお話しをしても写真は相手の話をしないのであります。みんなに会ってお話のできるのは夜であります。父ちゃんは幾度かの夜間戦、夜の行軍、つらつらと居眠りをすると、故郷に残したみんなに会って色々お話をしてきました。父ちゃんが、守ちゃんスヨちゃんに会って遊ぼうとする時、これを打ち切るのは、あの憎い支那の兵隊であります。守ちゃんスヨちゃんをしっかと抱いて色々語り始めようとする時、はっと父ちゃんの夢を破るのは敵の打ち出す鉄砲や大砲の音であります。父ちゃんがはっと自分の事に帰り、枕を並べて寝ている兵隊さんに、誰か敵弾に打たれて、無言の夢ではないかと、こそこそと見回し、次に弾薬車を引いたまま敵弾の飛ぶのを知らぬのか、何気なく立ちいる馬を見回して再び外套をかぶりて寝るとき、父ちゃんはどんな夢になるでしょうか。決してその時は夢ではありません。父ちゃんは守ちゃんスヨちゃんにお気の毒と感じ眠れるものではありません。
よって東の空が明けんとする頃より日本の兵は攻撃を始めた事が常でありましたよ。何十回とも知れぬ戦争に参加しました。ある時は大河の渡り、ある時は攻撃陣地、ある時は市街戦で敵の弾下に飛び入る時はいつも可愛い守ちゃんスヨちゃんの事はお気の毒だが、つゆ忘れていました。ただただ、皇国のため、東洋平和のため、それは一家の名誉、守ちゃんスヨちゃんが恥をかかないように。父ちゃんは一生懸命に戦争で働いて来ました。父ちゃんは、お里の両親、守ちゃんスヨちゃん、懐かしい母ちゃんを思い出せば楽しみで筆の止めようは分かりません。
母ちゃんに一言申し上げます。十二月十四日付けのお便りの文中に「世の中で一番悲しいこと、それは貴方様の(戦死)の夢を見ました」とありました。自分も十二月九日より十二日の晩までの苦戦は忘れません。お便りによれば、十二月十日、上原のトーキビ切りの初日でありました。自分らの御隊は出陣以来の悪戦苦闘であり目的の陣地に侵入するや、敵の打ち出す砲弾は我が砲兵陣地の真正面にドカンドカンと命中して、戦死戦馬多数出しました。自分らの助かったのは、友軍空機、猛烈なる爆撃戦のためでありました。丁度その時、自分らの前方二~三十間の方におった戦友を失ったのは残念でたまりません。戦友は大分県出身、自分と同年兵で十五年前小倉野砲十二連隊の同中隊同班の友達、しかも今は現役満期後も警察に勤め、巡査部長までなり恩給生活の出来る人格者で、家には子ども四人いると話していたことであります。犠牲者の数を出せば限りはありません。これにて失礼致します。何か自分の夢を見られたのは十二月十日の夜であったでしょうね。十二日の夜の苦心は後にお便りいたします。今、一月二十三日夜遅くなり寒風は硝子の外に、さっさと吹いています。二十四日は出発準備、二十五日より敵賊討伐に出動することになっております。尚、心厚き武運を祈って下さい。討伐より帰隊したらまたお便り致します。文は前後して、筆もよく取れなくて読みにくいでしょうがこれにてお別れいたします。
一月二十三日夜 警備係の父より
高木守成君
高木スマ様

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